聖書に記載されていなかったイエスの誕生日と「冬至」の関係とは?
冬至とは?
太陽が北半球から最も遠ざかって傾く日、ひいては北半球にとって、一年で最も日照時間が短い日。イエスの生誕の日。
冬至の起源
メソポタミア文明(紀元前3500年)にて、シュメール人が世界初の暦を作る。
この暦では、太陽の力が最も落ちる「冬至」が一年の始まりとされ、
冬至前後の12日間は新年の祭りが催された。
新年を祝う他にも、季節や日照時間や気温の変動といった大自然と対峙してきた人々にとって、
昼間の時間が短くなる冬至を乗り切ったことは大きな意味を持ち、
北半球各地で祭りが行われてきた。
宗教と冬至
ローマ帝国全体にキリスト教が広がり始めたころ、土着宗教としてミトラ教は根強い存在だった。
太陽神を信仰するミトラ教にとって、冬至は太陽が新しく生まれ変わる日であり、
「太陽神ミトラが力を取り戻し、地上に生まれ変わる日」であったため、
この日を新年と定めていた。
ミトラ教と信者の数を争うキリスト教は、
ミトラ教が冬至を「太陽(神)が一度死んで生まれ変わる日」としていたことから、
キリスト教がこの考えを習合し、冬至の日はイエスの誕生日を祝うよう主張、
冬至は、イエスの生誕(=クリスマス)であると決めた。
西暦325年、キリスト教会は正式に、当時の冬至の日であった12月25日を「イエスの誕生日」として定められた。
イエスの誕生日はもともと聖書に記載がなかったこともあり、まさに冬至が生誕に相応しい日として選ばれたのだった。
ヨーロッパ北部での冬至祭
井戸が高いほど、日照時間の差は大きくなることから、北欧では特に夏至・冬至は盛大な祭り事として扱われてきた。
太陽のパワーが復活する日とされた冬至祭りは「ユール」と呼ばれ、12日間祭りが行われていた。
北欧では、冬至祭のことを「ユール」と呼ぶと同時にクリスマスも「ユール」と呼ばれ、
サンタクロースは「ユールトムテ」や「ユールニッセ」と呼ばれている。
中国における冬至
中国においても、紀元前1046~256年の周の時代では、冬至が一年の始まりとされていた。
漢の時代に入り、春が一年の始まりとなるが、
旧正月のように現在も冬至を祝う習慣が残っている。
日本と冬至
日本は明治5年まで旧暦を使用していた。
冬至は旧暦を計算するうえでの起点となっており、日本では一陽来復と言い、みなが上昇運に転じる日とされていた。
かぼちゃと柚子湯の関係
日本では、冬至の日はかぼちゃを食べ、柚子湯に入るが、これはどういう意味があるのか。
この習慣は「運盛り」と「冬至の七種」と言われる習慣に基づく。
冬至は運気が上昇する日とされ、運を付けるために、「ん」がつく食べ物を食べる
「運盛り」という習慣があり、
南瓜(なんきん)、れんこん、にんじんといった「ん」が2つづつ含まれる食べ物を
「冬至の七種」という。
次に、柚子の強い香りは邪気を祓うという意味を持っている。
つまり、冬至に柚子湯に入るのは、邪気を祓う事を意味する。
その他、腸を洗浄することからコンニャクや冬至粥などが食べられている。
出典